中途半端な米は、買ってもらえない。飛び切りおいしいか、味はまあまあだが値段が安いかである。 とにかく、うまいか安いかが売れるポイントであった。
だが、最近はそれでも売れなくなってきた。客からは「実家から送ってくるので……」 「生産者から直接買っているので……」「親類が米を扱うようになったので、義理買いで……」との返事がある。
あの米不足の折も苦労した。その後も「あのときの対応が悪かった」と客に不満を言われ、そ の結果、米屋離れが進み、今度はまた、米あまり、新食糧法に変わった後、米の売り場が増え、安売り合戦が始まり、 品質などに信用をなくし、果ては流通、販売業者を通さないで生産者からの直接販売に結びつき、都会では、その比率が三〇%を超えていると言われている。
売れたり、さばけたり出来るところの生産者はまだ良いが……
最近も、近県の生産者から「九六年産の米を安くてもいいから買ってくれないか」と話があった。 当方も、「九六年産、大安売り!」と宣伝したところで、いまどき売れるめどが立たない。米商売はアップアップの状態である。
あの保険会社も、あの銀行も、あの証券会社も荒波に飲まれる時代。次はこの小さな小さな米屋も、であろうか。
一体全体、世の中どうなって行くのであろう。いまさら誰が悪いと言ったところで仕方のないことだが、 世の中悪い方向に進んでいる。どこで誰がのこの流れを止めるのか。
知人が言った。「米は消耗品だ。細い流れでも流れてはいる」。広い流れにするのか、深い流れにするのかは、 米を扱うわれわれ自身が考え、行動していくべきだ。生き残りをかけて頑張るのか、心機一転、一からやり直すのか、それが問題だ。 季節も米問題も確実に寒い冬に向かっている。世間の風もますます冷たくなってきた。次の春はいつ来るのやら……