相手の迷惑も顧みず、われら販売店グループ十人ほどで、京都の個性的な有力米穀店を三軒訪問させていただいた。 どの店も、休日にもかかわらず快く迎えてくれた。しかも、各店の考え方、行動を熱心に話していただいた。
一軒目は、生産者の顔の見える販売をしていて、その上、その米は磨きをかけ、付加価値をつけ、消費者に喜んでもらえる努力をしていた。
次の店は、京都らしく米に文化をのせた新商品にしたもの、 例えば、「金箔(ぱく)米」などを開発され、ぬかやみそまでも京文化のかおりをのせて、独自な製品として販売している。
また、三軒目は米屋でありながら、他の商品「佃(つくだ)煮」を、 独自開発、販売している店。どこにでもありそうな商品を、どこにでもない、その店独自の製法で作られ、材料も製造方法も日本一だといっていた。
おのおのの店が、米を扱いながら、違った方向に目を向けられ、 それでいて共通点は素材を大事に、生産者や消費者を大切に、 その上、しっかりとした理念を持って取り組んでいる。そこには、「安売り」「買いたたき」社会や世間などへの「不平」 「不満」は話の中で出てこない。
訪問したわれわれは、この三軒のどの方向に行くのか、いや、これ以外にもいろいろの方向がありそうだ。
どちらにしても、今までどおりに進むのか、一歩、他方に踏み出すのか、思案の最中である。
三軒目の訪問先で、「勉強ばっかりしたってあかんでぇ」のお言葉をいただいた。