その一方で、無洗米設備の製造会社の特許裁判問題はこのブームに水をさすことにならないか。もっと平和的にならないものかと思う。
私は、こんな時代のへそ曲がり人間かもしれないが、環境問題を考えるなら、米は自然界のものなので心配いらないと思う。環境問題を理由に無洗米が利用されるのであれば、洗剤やトイレ洗浄剤を流すほうがどうかと思う。節水できて、得なのであろうか。無洗米は普通の米に比べて、一キロ当たり二十円から五十円高いと言われている。一キロの米を洗うのに水代が二十円かかるのか疑問だ。冬に冷たい水で洗うのがつらいのなら、ぬるま湯で洗えばよい。
ついでに言えば、夏の水温(人肌より少し低い温度)なら、水漬時間は三十分ほどで十分である。その上、一番大事なことは、ご飯のうまさの問題である。三分ほどの時間をとるのか、うまさをとるのか。米のうまさはとぐことによって発生する。現在の無洗米処理機はどれも糊(こ)化層が残っている。この糊化層はとがなければ取れない。従って無洗米も、とがなければおいしくないということだ。このことは、専門の大学の先生が実験に基づいて言っている。
今のところ、米消費拡大のためにも、おいしければ一膳(ぜん)でも多く食べてもらえることだし、米を食べる文化、「とぐ」作業も守って生きたい。時代に逆らう私は、やっぱりへそ曲がりなのだろうか。