大蔵省(現財務省)も日銀もいまやニュース番組の主役である。 その悪役達の姑息でひきょうなやり方と、私欲で小さな考えの政治家や官僚に日本の将来を預けて良いのだろうか。
目の前にある、この不況をどう良くしていくのであろうか。
おのおのの悪役が、おのおのの土俵の上で、自分の有利になるような相撲を取っているだけである。 一方、農政もおのおのの立場の土俵でしか考えていないのではないだろうか。また、生産者は、この作物がどう食べられているか、 消費者は、どんな苦労で作れれて炒るのだろうか、とかもっと広い土俵の上でお互い広い目で全体を見渡し、 農業、消費生活、また流通のあるべき使命を考えていかなければならなくなってきたようである。
消費量と生産量のゆがみ、あり余る米と輸入米のゆがみ、将来起こるであろう世界の食糧不足と 減反(減株ではない)とのゆがみ、国産米価と輸入米価のゆがみ。数え上げれば切りがないが、 どこかで歯止めを掛けないで、問題の先送りでは大変なことになる。
わが流通の場ではここにきて、米の安売り合戦の折り込みちらしも「ああ、またか……」 ぐらいの感覚でしかないが、ラジオやテレビでの米の宣伝が目や耳につくようになってきた。 米の販売会社の社名や商品名がガンガンと繰り返し放送されている。「うまいぞ!買え!買え!」の攻めの攻勢である。
米の消費量は一人当たり月間5キロを切ったと言われている。 この小さくなった市場パイに今やどの販売会社も「攻め」の一年である。 とにかく何でも良いからもう一膳、もう一口、米を食べてもらわなければ……。
攻めの苦手な私は魅力ある「待ち」、売るのではなく、買わす方策を練っている最中である。